大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和45年(わ)5235号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、「被告人は、昭和四四年六月二日午後八時三〇分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、東京都江戸川区宇喜田町二、〇〇五番地先の交通整理の行なわれている交差点を、浦安方面から葛西橋方面に向かい直進するにあたり、法定の最高速度(五〇キロメートル毎時)を守り、進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務を怠り、時速約七〇キロメートルの高速度で、進路の安全を確認することなく進行した過失により、自車を対向進行して交差点に先入し、右折しようとしている永塚公一(当二五年)運転の普通貨物自動車に衝突させ、よつて、同人に対し加療四日間を要する左前腕打撲等の、および同車の同乗者矢作修(当二八年)に対し加療約一〇か月間を要する右大腿骨々折の、同佐藤健(当四九年)に対し加療約一か月半を要する頭部挫創等の、同青木寿男(当二二年)に対し加療八日間を要する右膝関節打撲の、同前田昭平(当四一年)に対し加療八日間を要する前頭部打撲等の各傷害を負わせたものである。」というのである。

ところで、検察官提出の各証拠および被告人の当公判廷の供述によれば、公訴事実記載の日時、場所において、被告人運転の普通乗用自動車が、永塚公一運転の普通貨物自動車(以下、たんに、被害車両という)と衝突して公訴事実記載のとおりの傷害の結果が発生したこと(以下、たんに本件事故という)は明らかであるが、さらに、証拠によれば、(一)本件事故現場は、東西に走る車道幅員18.2メートルの道路に、東北から幅員6.5メートル、西北から幅員一〇メートルの道路が、さらに、東南から幅員8.2メートル、南西から幅員10.8メートルの道路がほぼ×型に交差する変形交差点(以下、たんに、本件交差点という)の中であり、本件交差点の東西の入口にはそれぞれ横断歩道が設置され、その内側の距離は95.25メートルであり、東西の道路は直線で見通しはよく、路面はコンクリート舗装で乾燥し、制限速度は毎時五〇キロメートルで、事故当時東西道路の対面信号は青色を表示していたこと、そして、衝突地点は、東西道路と西北から東南へ抜ける道路とが交差する部分の東西道路とが交差する部分の東西道路の被告人の進行方向からみて左側部分のほぼ中央付近であつて、被害車両が右折しようとした東南へ通ずる道路と一三〇度ないし一四〇度位に緩く交差していたこと、(二)被告人は、本件交差点に向つて車道左側部分の中央付近を、時速約七〇キロメートルの速度で西進し、被害車両が対向して来るのは認めたが直進するものと考えて、そのまま進行したところ、本件交差点東側入口に設置されていた横断歩道から約一四メートル手前の地点(この地点は実況見分調書添付図面の①に相当するわけであるが、当時の被告人運転車両の速度では、空走距離は右の図面に記載されている六七メートルよりは遙かに長く、約一四メートル位であつたと認められから、右①の地点は右図面に記載されているよりずつと手前になる)で前方約五二メートルの地点で被害車両がセンターラインを越えて右折を開始したのを認め、直ちに急制動の措置をとつて右横断歩道の上から明瞭なスリップ痕を残しながら28.7メートル滑走し、僅かにハンドルを右にきつた状態で自車の左側前部と被害車両の左側前部とが衝突したこと、(三)被害車両は時速約四〇キロメートルの速度で本件交差点に進入し、実況見分調書添付図面の地点で被告人運転車両を同交差点東側入口の横断歩道から約一四メートル前方に発見したが、同車よりも先に右折できるものと判断して一時停止することなく時速約二五キロメートルに減速しただけで右折を開始し、約11.5メートル進行して被告人運転車両と衝突したことが認められる。

そこで、右のような事故発生の経緯にてらし、果して、被告人に起訴状記載のような過失があつたかどうかについて考えてみることにする。

(一)先ず、被告人が制限速度を守らずに時速約七〇キロキロメートルの速度で進行したという点であるが、右の経緯に明らかなように、被告人が時速約七〇キロメートルの高速度で本件交差点に進入しようとしたことは事実であるが、被害車両の運転者は被告人運転車両が横断歩道から約一四メートル位の地点に迫つているのを認めながら先に右折できるものと判断したこと、そして被害車両が右折しようとする道路はかなり鈍角に交差していたため被害車両はゆるいカーブで被告人の進路面を横切ることになるのであるから、このような場合、道路交通法第三七条第一項の直進車優先の原則に則つて被害車両の運転者としては、被告人運転車両の位置や速度について適確な判断をして衝突の危険がないことを確認したのちに右折すべきであつたし、一方、被告人としては、被害車両が自車に進路を譲つてくれることを期待して直進することが許されていたということができるのである。そこで、問題は、時速約七〇キロメートルという高速で運転したことにより被告人運転車両が、前記原則による優先権をもつ直進車に当らないことになるかどうか、換言すれば、被害車両の右折の判断を誤らせるものであつたかどうかに帰するのであるが、本件事故現場の道路状況や時刻、それに、当時対面信号が青色を表示していることからみると、制限速度を二〇キロメートル程度超過した時速約七〇キロメートルで進行する車両は必ずしも稀有ではなく、被害車両の運転者としてはこの程度の高速車のありうることは一応考慮しつつ右折の判断をすべきであつて、したがつて被告人としては本件交差点で右折車は直進車である自車に進路を譲つてくれるものと信じて運転すれば足りたものというべきである。そうすると、被告人が高速運転をしたことは、道路交通法違反にはあたるとしても本件事故の原因をなしているものとはいい難く、したがつて業務上の過失を構成しないものといわなければならない。

(二)次に、被告人が進路の安全確認義務に違反したという点であるが、事故発生の経緯から明らかなように、被告人は右折を開始した被害車両を約五二メートル前方に発見して直ちに急制動の措置をとつているのであるから進路の安全確認義務の違反があつたとはいえないし、前方不注視などその他車両運転上の過失があつたことを窺うに足りる証拠は存しない。

以上の次第で、本件では被告人に過失があつたという点について証明がないから、刑事訴訟法第三三六条により、被告人に対し無罪の言渡をする。

(海老原震一 土屋一英 白井皓喜)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例